バシッ!!
突然、石川にバインダーで打たれた岩瀬は顔を手で覆った。
「い・・・痛いです・・・・」
「顔!!緩んでる。お前、最近何か変だぞ?変ににやけてるし何なんだ?」
「えっと・・・ですね・・・・もうすぐ・・・・ごにょごにょ・・・」
「もうすぐ何だ?」
「いいえ、何でもないです。すみません、二人っきりなので気が緩んでしまいました」
最近、新人が入って来て以来、中央管理室のディスクに座って書類の整理をすることが多くなった。
石川は、岩瀬の顔を訝しげに見ながら、納得の行かない顔をしている。
「もうすぐ、委員会も来るし気を引き締めろ、お前からそんなだと他の隊員に示しがつかないだろう?」
「はい、以後気をつけます」
岩瀬の気が散ってるのは、ちゃんとした理由がある。
もうすぐ、石川の誕生日なのだ。
目の前の綺麗なこの恋人は、相変わらず自分の誕生日さえも忘れるくらい仕事に忙殺されている。
さすがに、いつまでもにやけていては仕事にならないと、岩瀬は気を引き締めて石川と一緒に委員会を待った。
「石川、一階の廊下に又犬が歩いていたぞ、ちゃんと繋いでおけ」
宮沢は来た早々開口一番に、石川に注意をする。
石川は苦笑しつつ、岩瀬とこっそり目を合わせる。
ほどなく会議は終わるのだが、タイミングの悪い宮沢は、テロ騒動に出くわすことになる。
派手に暴走車でゲートを突き破り、散弾銃を打ち鳴らして突入してきたテロと、
会議を終えた宮沢とその他の委員会の面々が出てきた時に遭遇した。
「厳戒態勢に入れ」
そうインカムで命令する。
すぐに館内に宮沢達を押し込んで、石川は岩瀬と二人になった途端に狙撃された。
幸い弾は反れて、大事に至らなかったのだが。
石川の頭上に、すっと血が流れ落ちた。
「岩瀬?」
「大丈夫です、かすり傷ですから」
振り返ると、額から血を流している岩瀬を見た。
「すぐに手当てを」
その間、テロ集団は外警班に取り押さえられ、暴走車も爆発することなく停止されていた。
岩瀬は、テロ騒動から帰って来て、様子がおかしい石川を気に掛けながらも、トイレに行く振りをしてさっき感じたものを確認した。
外から帰って来て、腰の辺りに違和感があった。
手を添えて見ると、赤く染まったシャツの上から血が手についた。
石川に気付かれないように、こっそりと応急手当をした岩瀬は、いつものように業務を行った。
そして、終業後電話を掛けると言って石川を先に寮に向かわせてから、岩瀬は医務室を尋ねた。
「あの、堺先生は?」
「どうした?岩瀬?」
「あ、ちょっと昼間怪我したみたいで・・・・・」
調度、堺医師に怪我を見せた瞬間に、背後から殺気が立ち込めた。
「い〜わ〜せ〜」
そこには、仁王立ちになった石川が立っていた。
「わっ!!はる・・・やっ、隊長???」
「何だか変な予感がすると思ってお前をつけて来たら・・・・こんなことになっている」
「あ・・・あの、本当に大した傷ではなかったので・・・・」
必死に取り繕う岩瀬に対して、無言の圧力が掛かる。
岩瀬は傷の手当てを受ける間、石川はずっと後ろで睨み続けていたので、気が休まる時間が無かった。
寮の部屋に帰り着くまで、石川は無言だった。
「えっと・・・悠さん??」
石川は無言で、どうやら岩瀬と意地でも話をしないつもりのようだ。
石川は静かに怒っている。
声を荒げるでもなく、問い詰めるでもなく静かに。
岩瀬はその背中を見ていて、そのことがひしひしと伝わってくるのだ。
昼間、いつものように石川を庇った岩瀬は、かすり傷を負った。
腰に散弾銃の破片が、掠ったのも承知していた。
失敗したと思った。
いつもだったら、こんな失敗はしない。
今となっては、少し気の緩みから来るものだったかもしれない。
警護対象である隊長を守ったのだから、SPとしての役目は果たしている。
だが、怪我を負ってしまっては何もならない。
岩瀬にとっては、自分を含めて無傷で済ませることが最良と思っているからだ。
何故ならば、怪我をしたことに石川が自分を責めるのだ。
SPとして、隊長を守るのが役目だ。
自分を犠牲にしても、守るのが義務だ。
だが、石川はそれを良しとはしない。
「悠さん・・・・」
「・・・・・」
「俺の不注意ですから、そんなに怒らないで下さい。黙っていたのは誤ります」
「・・・・・」
「悠さん」
「俺は、頼りないか?」
「え?」
石川が発した言葉は小さかった。
「悠さん・・・・」
「テロ騒動から、館内に戻って来たときから何だかおかしいと思ってた。でも負傷した傷を隠しているなんて思わなかった」
「・・・・すみません。でもかすり傷でしたし、幸いにも血もすぐに止まりました」
「だからと言って、お前の変化に気付かなかったのは俺だ」
石川の気持ちは、痛いくらいによく分かる。
だから、知られたくは無かったのだ。
岩瀬にとって、今日の最大の失態だろう。
岩瀬は、自分を責めているだろう石川を背中越しから抱き締めた。
「悠さん、そうやって自分を責めないで下さい。悪いのは俺の方ですから」
「俺を庇わなかったら、そんな怪我しなかった」
「これが仕事です」
「でも・・・隊長失格でも、お前が怪我するのは見たくない」
「・・・俺の傷は貴方を守れた証です」
「そんなの・・・いらない」
石川から発せられた言葉は、岩瀬の胸に突き刺さる。
「お前が怪我をする度、強烈に思い知らされる、SPの存在を・・・いっそお前を俺から離してしまおうと考える」
岩瀬はすかさず、石川に詰め寄る。
「そんなの嫌です。絶対に離れませんからね」
「・・・・・」
「あなたを守るために俺がいる。それが出来ないなら、俺に死ねと言ってることと同じです」
石川は、手で自分の顔を覆って、吐息と共に呟く。
「俺は、お前に甘えてばかりだ」
石川の必死の叫びに、岩瀬の胸は震える。
「そんなの当然の権利です。あなたは俺の命を預ける大事な人ですから」
「岩瀬?」
「俺は、あなたがいなければ生きては行けないんです」
「岩瀬・・・」
振り向いた石川の目に、薄っすら涙が盛り上がっていた。
「もしもあなたがいなくなったら、俺は生きてはいません」
岩瀬の胸に顔を埋める石川を優しく抱き締めて、岩瀬は頤を持ち上げ溜まった涙を唇で吸い取る。
「俺だってお前がいなければ生きて行けない」
石川は、震える手を伸ばして岩瀬を抱き締めてくる。
「愛しているんです、だから俺を拒まないでください」
「岩瀬・・・・」
「俺の存在価値が失われてしまいます。あなたは俺の生きる源なんですから」
「・・・じゃ、今度から怪我をするな、怪我したことを俺に隠すな」
「はい、約束します。あなたに隠し事はしません」
石川は、ぎゅうと岩瀬に抱きつく。
「うん。許す」
岩瀬の胸に顔を埋めて、岩瀬には見えなかったかもしれないが、石川は少しだけ微笑んだ。
優しく抱き締めていた腕を放して、石川の顔を覗き込んで岩瀬は囁く。
「キスしてもいいですか?」
返事とばかりに石川は、岩瀬に回した腕を力を込めて抱き締め返した。
「いっ・・・痛っ!!」
どうやら傷に触ったみたいだ。
岩瀬は、涙目になりながら講義をする。
「ひどいな・・・」
「ばーか、心配かけた罰」
「ええええ!!駄目ですか??」
「駄目」
「えええええ!!」
石川は、その綺麗な顔に意地悪な表情を浮かべて、もう一度岩瀬に抱きついた。
「しばらくこのままな!!」
お預け状態の岩瀬は、困りきった表情を浮かべて、渋々抱き締めるだけに専念した。
もうすぐ、石川の誕生日。
それまでには、この状況を打破しなくてはと、硬く心に誓う岩瀬だった。